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「篠峯」醸造元 千代酒造 堺哲也氏を迎えて [日本酒]

およそ一年ぶりに、お酒の会を開催しました。

今回は普段お取り引きのある居酒屋さんとのコラボで、
奈良県御所市にある千代酒造さんの堺哲也氏を囲む会として、
セミナー&懇親会の二部構成で挑みました。

まずは、酒仙房「金生」さんの持つ茶室である、四貫島「祥月」にて
おこなったセミナー部分となる堺さんのお話です。
下の写真はちょこっと拝借してきたものです。

自己紹介
「現在、千代酒造専務をしている、堺哲也と申します。千代酒造社長の名は久保と言いまして、二代目である現社長の娘さんと結婚し、いわゆるマスオさん状態(笑)で蔵入しました。それが今からおよそ12年前、28歳の時のことです。もともとは、北海道生まれで、22歳迄北海道で育ち、今頃はもしかしたら北海道に帰り、ワイン造りか、今のお酒の世界とは全く違う仕事に就き、サラリーマンをしていたかもしれません。それが縁有って酒蔵に入り、現在迄でおよそ10年程造りの経験をしています。また、それ以前は山梨県にあるグレイスワインで4年間程ワインを造っていました」

「現在、地酒という形で呼ばれるもので良いものを造っているのは全国に200軒くらいあり、特にここ5年くらいの進化は目覚ましく、また今後も一層の飛躍を望めることができると思います」

蔵の歴史
「前杜氏である吉田杜氏についてから述べたいと思います。昭和20年に18歳で下人として入社しました。昭和34年にここ千代酒造で杜氏となったのですが、通常であれば他の蔵に迎えられる所でありました。ところがその前任者である諏訪さんという杜氏が月桂冠さんに引き抜かれました。そのため、1番手である杜氏とその2番手であった吉田さんが抜けると酒質の維持が難しいと思われたため、吉田さんがそのまま杜氏としてこの蔵に残ることになりました。ちなみに二人は親戚関係でした。そして、その吉田杜氏は3年程前に75歳で引退を迎えたのですが、現在でも顧問として蔵に残ってもらっています。また吉田さんは黄綬褒章を受賞しています。

 蔵の建物は明治の建物になります。別の経営者から先代が昭和9年に買い取り、昭和20年ではおよそ200石くらいを生産する蔵でした。昭和50年の6000石くらいが一番大きくなった時代で、日本酒の消費量自体もその前年の昭和49年がピークでした。この時造られていたお酒は月桂冠さんに売るための未納税のお酒であり、当時月桂冠さんの下請けをする蔵元は全国に何百軒とあったのですが、うちもその一つであったわけです。現在ではゼロ軒になった月桂冠さんの下請けですが、千代酒造では2年前迄、未納税の取引はありました。そのときの造りでおよそ1500石くらいでした。
 太平洋戦争当時は自由に酒造りが出来ない時代で、税務署の指導のもとお酒の生産量とその原料であるお米の割当が決められていました。製造計画をお盆開けくらいの秋の初めに税務署に提出するわけですが、大手の蔵が予定する販売量に足りない場合は、違う蔵の権利を買い取りお酒を製造するわけです。未納税というのは、米の割当という要因によるものが多分にあるわけですね。そういう意味では、灘と伏見という大きな蔵が建ち並ぶ地に近い奈良県は、未納税の蔵が多い場所であったと言えます。

 そのような時代にあって既に先行きに対する不安はありましたので、現社長は今から30年程前、当時に珍しい10年古酒の試みを始めました。ある勉強会にその古酒を持参していった所、色の着いた古酒を持っていったのは2社のみで、他社のお酒は古酒であっても無色透明のものだったそうです。炭素濾過がそれほど当たり前だった時代なんですね。また、その古酒にしても熟成させるためのコストは高く、対象はギフト市場等ごく限られたものになっていました。
 そんな中、次の試みとして純米酒造りがありました。当時、特撰街という雑誌の誌上で、年に一回日本酒コンテストがありました。常連で一位を獲得していたのが、愛媛県にある梅錦さんで、その雑誌の影響も少なからずあって、今日の地酒の地位を不動のものにしたと言われています。千代酒造も昭和63年の純米酒部門で一位を獲得することができました。世間に対する影響力も結構あったようで、地酒専門店さんのグループが大型バスに乗り合わせて、蔵に押し寄せたと聞いています。それ以来、地酒専門店向けの出荷が増え、合わせて課税移出も拡大し始めることになりました。数字としては、全体で3500石くらいあったの生産量のうちの、100石くらいが課税酒の割合で、私が蔵に来たときも大体同じくらいの数字でした。
 現在は、未納税分はゼロになり、課税分のみ原酒換算で500石、課税移出が480石くらいで、割り水をして出荷するのでお酒はややあまり出しています。目標としては600石〜700石くらいの生産、販売量を目指しています」

蔵の背景
「奈良県の御所市に蔵はあります。葛城山で有名ですが、古くから歴史の舞台に登場し神話の里とも呼ばれています。数年前も一級の価値のある古墳がでたのですが、予算不足のため発掘出来ず再び埋めなおしたと言う、全国でも有数の財政難の市でもあります。また修験道の祖と言われている役の小角が修行したと言われているのが葛城山で、初夏は頂上付近に咲き誇るつつじ、秋には黄金色に輝くススキを楽しめます。蔵はその葛城山を西に眺める櫛羅の地にあります。
 蔵には2本の井戸があります。一本は10メートルくらい、もう一本は100メートルくらいの深さがあります。蔵の水回りは、そこで暮らす現社長家族の生活水も含め、全てこの二本でまかなっています。冷蔵庫もこの水を利用した水冷式のものです。この辺りは大字を櫛羅といいますが、小字を井戸というくらい、豊かな水量を誇る井戸があるようです。水質に関しては、鉄分は全く含まれず、生活水としてそのまま用い、仕込み水に用には粗い濾過を通します。
 蔵の建物は大変古く耐震に問題がありそうで、昨年の大きな地震でかなり揺れました。そのため地震後直ぐに耐震補強はしました。
 酒造りに必要な基本的な設備は全て揃っています。特に、精米機は自前のものがあるのですが、これは奈良県でも2〜3軒くらいだけだと聞いています。40%くらいの高精米になると、外注したのと自家精米だと15%くらいの差があると言われていますので、有るのと無いのとで大きな違いがでそうです。今後も一層日本酒の売れない世の中になりそうなので、精米所も減少するでしょうし、実際精米技術の低下は現実のものとなっています。
 一昨年までは未納税分の仕込みもあり、大きな連続蒸し米機を用いていましたが、現在は甑を利用しています。大きめだった洗米機も止めて新たなものに買い替えました。
 実際、酒造りには設備や道具はあまりいりません。精米と米洗い、蒸しの設備がある程度整っていると言えますので、細かい所は言い出すと切りがありませんが、大きな所では室を新しいものにしたいのが今の希望です。
 後、最も大切な人の問題があります。前杜氏である吉田さんには既に人材難の時代が来るよと告げられていました。そのため、季節雇いではない正社員を入れることにしました。現在5人いますが、皆一通りの基本作業はできるくらいになっていて、私を含めて6人で酒造りにかかっています。吉田さん曰く、酒造りには人の和が必要であるといっていましたが、チームワークはいいお酒を造る為の大切な要素の一つだと思います」

名前の由来
「『櫛羅』というお酒の名前は蔵のある地名からとっています。このお酒の仕込みには自家栽培した櫛羅産の山田錦を使っています。私が12年前に蔵に来て初めてした仕事がこの山田錦の米造りでした。当時から食べるためのお米は蔵で造っていたのですが、たまたま山田錦の種をもらい、酒米造りを試みることになりました。この櫛羅のラベルに書かれた字は、とある画家さんに以来したものです。この画家さんが身障者の作業所でボランティアをしていて、彼らに制作をしてもらおうということになりました。その際に画家さんの提案で画を描いてもらうのではなく、字を書いてもらうことにしようということになりました。その作業所で働いていた5人の合作によるものです。
 また『篠峯』とは葛城山の別名でもあります。このお酒の試みは今期で7年目となります」

造りのコンセプト
「教科書的には、一『麹』、二『もと』、三『造り』と言われています。ただ、それ以前の問題として、造り手、オーナーがどんな哲学持ってお酒を造り、消費者へ販売し、どんなお酒の売り上げでもって社員に給料を払うのかということだと思います。そのことを考える上で、特に、どんな規模で蔵を経営していくのかということがあります。久保田を醸す朝日山酒造さんが凄いのは、あれだけの規模のもので、あれだけのレベルの良い物を造れることです。それには新潟の風土が大きく左右していて、主に使われる五百万石の特性によるものが多分にあります。この五百万石というお米は、良い意味で、精米や蒸し等の原料処理がある程度雑であっても、いいお酒が造れるという性質を持ちます。特に『ふくよかさ』ではなく『きれいさ』の酒質を目指すには非常に適性が高いお米であるといえます。当然ながら高い技術と設備に支えられているのは言う迄もありません。しかしながら、千代酒造の目指すお酒造りはそこにはありません。500石から600石くらいの生産量を、万人向けではないかもしれませんが、好きになってくれる人に向けて造りだせればと思っています。商品案内に有るように、現在は少し多すぎるくらいの商品構成になっています。理想は三種類くらいで、ベストはそれこそ一種類のお酒でやって行けるのが一番良いんだと思います。

・・・テープのの入れ替えで記録が途切れました・・・

 色んな幅を広げる意味もあり、今は種類が多くても構わないかなと思っています。天然の乳酸菌を利用する生もと造りの試みもその一つであり、純米吟醸酒のようなものもあります。今年で私は40歳なるので、後20回から30回の酒造りをすることができるはずですが、最近思うのは水に合った酒造りが必要であるということです。更には、使用する米、麹や酵母の微生物の使い方、またもろみの搾り方等、無限の組み合わせがあり、酒屋萬流といいますが、同じ酒の造り方はないはずです。吉田杜氏が残してくれた教科書を引き継ぎ、それに書き加えていく段階に今はあると思います。全国のお酒は常に進化していて、毎年同じレベルのお酒では駄目で、同じラベル、同じスペックでも、より美味しいお酒を造っていかねばならないのだと思います」

ワインと日本酒
「日本酒の素晴らしさの一つに『ALL JAPAN』できるということがあると思います。細かな石油燃料や瓶材等はさて置き、日本に有るものだけで造れる数少ない一つだと思います。お米は輸出するくらいありますし、水もいい物があります。米麹も造れますし、微生物もあります。5年程従事したワイン造りへのジレンマとして、会社を経営できるだけの葡萄、ワインが造れないというのがあります。趣味の世界、あるいはその延長くらいのものであれば出来るかもしれません。私のいたグレイスワインも10年前とは違い随分進歩しました。自社畑から収穫した葡萄での醸造も初めていますが、コストの問題もあり、外国のワインとの競合には厳しいものがあると思います。それに対して、日本の一位が世界の一位であると言われる物の一つが、日本酒です。それも日本に有るものだけで造れるのです。日本は米文化であります。確かに日本酒を飲む人は減少しています。ただ、地酒はこの10年で再出発している歴史の浅い物です。『日本酒』と呼ばれるものの歴史は古いのですが、そのなかでも『地酒』と呼ばれるものは新しいものだと言えます。そういう意味では10年後くらいに何らかの結果がでればと願っています。最後に、お酒を飲むことを楽しんでいただきたいと思います。料理とお酒という組み合わせにおいては、あくまで料理が主役です。それにいい雰囲気が加われば、お酒も自然と美味しくなります。美味しい日本酒に出会う為には、最近やや遠回りな試みが必要であるといえます。美味しい日本酒はスーパー等何処ででも手に入ると言うわけではありまん。その意味でも酒屋さんにはしっかりと頑張っていただきたいものです」

次回懇親会の模様もアップしますね。


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SHINO

日本酒の素晴らしさの一つに『ALL JAPAN』・・・輸入物に問題がある昨今、日本酒のよさを改めて感じました!
by SHINO (2007-10-09 16:48) 

つーたん

miumiu様、いつも有り難うございます。

SHINO様、いらっしゃいまし。
厳密には、石油関連のエネルギー問題が
一番のネックになってはくると思いますが、
基本的な造るという面においては正にフロム日本ですね。
by つーたん (2007-10-12 14:21) 

つーたん

delphy様、写真ちょこっと拝借しましたよ。
by つーたん (2007-10-19 13:30) 

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